リゾート


別荘案内

 日本の国立公園の歴史は日光・阿蘇・瀬戸内海など12地域の指定によって始まり、日本を代表する景勝地である富士山も昭和11(1936)年2月に「富士箱根国立公園」として山中湖地域を含んで指定されています。しかし、山中湖の観光・リゾート開発はそれ以前、大正末期の山梨県有地の開放と富士山麓土地株式会社(現在の富士急行)の別荘地開発によってスタートしています。観光地あるいはリゾートとしての山中湖を考える時、どうしてもこの別荘地開発の歴史をひもとかなくてはなりません。つまり、この地域の過半を占めていた県有地の開発にあたっては、これをそのまま県有地として開発することに加えて
・道路から一定距離をとって別荘を建てる
・建物の色合いを規制する
・樹木は県の財産なので伐採を制限して自然を守る
等の考慮を最初から行い、開発の度合いをコントロールすることにより、外国型林間別荘地を目指していました。現在国立公園ではどこでも行われているデザインコントロールの概念がこの地域では国立公園誕生以前に導入されていたのです。こういった自主的な規制の元で、昭和初期には、外国人向け別荘・会員向けゴルフ村の他、経済倶楽部別荘、更には皇室関係者・政財界人・軍関係者の個人別荘が加わり、旭日丘地区での別荘地開発が始まりました。また同時に、旭日丘地区開発の拠点としてその中心にテニスコートやスケートリンクを持った山中湖ホテル(昭和3年開業)や横浜の老舗ニューグランドホテルの進出(昭和7年開業)など、富裕層・外人客を対象とした施設も整備され、日光・京都・箱根等日本有数の観光地を目指して開発は進みました。なお、旭日丘という地名は、この地で文筆活動を行った徳富蘇峰が命名したもので、彼の功績は文学の森徳富蘇峰館において紹介されています。
しかし、そういった高級路線をとりながらも、昭和2(1927)年に日本で最初のキャンプ場が開設したのを皮切りに、東京帝国大学・明治大学・第一高等学校・東京文理大学・慶応義塾大学・千葉医大・麻布学園などが学校寮を開設して、高級リゾートから青少年をも受け入れる総合リゾートへと拡大・発展してきました。こうして旭日丘地区で始まった別荘地開発は昭和11年には別荘数が200棟を越えましたが、国立公園指定後、建築制限は更に整備され、自然との共生思想は別荘生活に定着していきました。昭和30年代以降は、旭日丘地区の別荘地が更に拡張されるとともに山中湖北側の長池地区においても大型開発が行われるようになりました。その後、昭和から平成へ時代は変わりましたが、当初からの自然保護思想はそのままに、開発も量から質の時代へと変化し、現在では別荘地内でのエコツアーや、別荘利用者によるエコツアーも行われつつあります。

富士急リゾートアメニティ
石川哲志



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